公娼制度とは?― 国が性風俗を管理した時代 ―

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KOSHOSEIDO公娼

鍛練大辞典 追補編【日本風俗考】第四考
公娼制度とは?
― 国が性風俗を管理した時代 ―

吉原。

遊郭。

娼妓。

ここまで読んできた下半身戦士なら、 一つの疑問が浮かぶはずである。

そもそも、なぜ国はこんな商売を公に認めていたのか?

現代の感覚では、 性風俗は基本的に民間の商売である。

しかし、 日本にはかつて、 娼妓を登録し、 営業する場所を限定し、 行政や警察が取締りを行う

『公娼制度』

が存在した。

これは日本風俗史を、 江戸の遊郭から戦後の赤線へつなぐ 極めて重要な制度である。

【其の一】公娼とは何なのか

まず勘違いしやすいところから整理しよう。

『公娼』の『公』は、

国や役所に雇われた娼婦という意味ではない。

公娼とは、 行政の許可や登録、 規則のもとで営業することを認められた娼妓をいう。

それに対して、 制度の外側で売春を行う者は 『私娼』 と呼ばれた。

つまり簡単に言えば、

『認めて管理する売春』と『認めていない売春』を分ける仕組み。

それが公娼制度だった。

【公娼制度・超簡単整理】

公娼
行政上の許可・登録・取締りの対象となった娼妓。

私娼
公娼制度の外で売春を行う者。

貸座敷
娼妓が営業する場所として許可を受けた営業形態。

遊郭
貸座敷などが集められた区域。公娼制度と深く結びついていた。

【其の二】なぜ国は性風俗を管理したのか

性を売買する行為は、 禁止すると言っただけで消えるものではない。

江戸時代にも、 吉原がある一方で岡場所が存在した。

そこで為政者側が取った方法の一つが、

『なくせないなら、場所と人を限定して管理する』

という考え方だった。

営業区域を定める。

営業者を許可制にする。

娼妓を登録する。

警察行政の監督下へ置く。

近代になると、 衛生管理も制度の重要な要素となっていく。

こうして性風俗は、 単なる裏商売ではなく、

行政が把握し、規則によって統制する対象になっていった。

【其の三】明治政府、いきなり大転換

江戸幕府が終わり、 明治政府が誕生する。

そして明治5年。

1872年。

日本の性風俗史に、 大きな出来事が起こる。

太政官達第295号。

一般に、

『娼妓解放令』

と呼ばれる命令である。

これは、 人身売買同様の年季奉公を問題視し、 娼妓や芸妓などをその拘束から解放する方向を示したものだった。

つまり、

『借金を背負わせて人を縛り続けるのはダメだ』

という大きな転換である。

【其の四】解放されたのに、公娼制度は続いた

ここが、 日本風俗史のややこしいところである。

『娼妓解放令が出た』

と聞けば、

『じゃあ遊郭も売春も全部なくなったの?』

と思う。

しかし、

なくならなかった。

人身売買や年季による拘束を否定する一方、 本人の意思による営業という建前のもと、 その後も各地で娼妓や貸座敷を管理する規則が作られていった。

東京府でも、 貸座敷や娼妓に関する規則が整備される。

つまり、

『女性を借金で縛る制度』から、『本人が営業するという形で行政が登録・管理する制度』へ。

建前は大きく変わった。

しかし、 遊郭という商売そのものは残ったのである。

【其の五】1900年『娼妓取締規則』

そして明治33年。

1900年。

内務省令第44号 『娼妓取締規則』 が制定される。

この規則では、 娼妓として営業する者を登録制とし、 18歳未満は娼妓になることが出来ないとされた。

それまで地域ごとの差も大きかった娼妓の管理について、 国による共通の枠組みが作られていく。

明治日本の公娼制度が、より制度化されていったのである。

そして全国各地の遊郭は、 警察行政の監督下で営業を続けていくことになる。

【其の六】制度上は『自由』。しかし現実は?

ここでも、 建前と現実を分けて見る必要がある。

明治政府は、 人身売買を認めない。

娼妓本人の意思によって営業する。

という形を取った。

しかし現実には、 貧困、 前借金、 家族事情などを背景に 娼妓となる女性が数多く存在した。

制度上の 『本人の意思』 と、 実際の女性たちが置かれていた環境が、 必ずしも同じだったとは言えない。

『自由営業という建前があるから、全員が自由だった』

と考えてしまうと、 公娼制度の実態を見誤る。

【其の七】公娼制度には反対運動も起きた

当然ながら、 この制度に対する批判も強くなっていった。

人身の自由。

女性の権利。

貧困。

前借金。

性病対策。

そして、 国家が売春を公認することそのものへの批判。

明治から大正、 昭和にかけて、

『廃娼運動』

が広がっていく。

帝国議会でも、 公娼制度を残すべきか、 廃止すべきかが繰り返し議論された。

つまり当時からすでに、

『国が売春を認めて管理する制度は、本当にこれでいいのか』

という問いが存在していたのである。

【下半身戦士心得】

江戸も明治も令和も、 大人の遊び方は時代によって変わる。

でも令和の下半身戦士が楽しむなら、 一番大切なのは難しい制度の暗記ではない。

自分の好きなことを知る。

相手の意思も大切にする。

気持ちいいものは気持ちいいと素直に伝える。

そして、 お互いに気分よく遊んで帰る。

大人の遊びは、 楽しめてこそ鍛練である。

【其の八】1946年、公娼制度は廃止へ

そして第二次世界大戦が終わる。

昭和21年。

1946年。

連合国軍最高司令官総司令部、 いわゆるGHQは、 日本政府に対して 公娼制度の廃止を求める指令を出した。

1月21日に出された SCAPIN-642 である。

これを受け、 娼妓取締規則など、 公娼制度を支えてきた規則が廃止される。

日本で長く続いてきた公娼制度は、ここで制度上の終わりを迎える。

ところが――

またしても、 話はこれで終わらない。

【其の九】制度をなくしても、風俗は消えなかった

公娼制度は廃止された。

では、 日本から売春や性風俗が消えたのか。

消えなかった。

遊ぶ男もいる。

商売をする者もいる。

女性もいる。

そして、 戦後の混乱の中で、 新しい形の性風俗が急速に生まれていく。

ここから、 日本風俗史は大きく姿を変える。

江戸・明治の『遊郭の時代』から、戦後の『赤線・青線の時代』へ。

そしてそのさらに先には、 トルコ風呂、 ピンサロ、 ニュー風俗、 デリヘルへと続く 怒涛の業態変化が待っている。

【道場主曰く】
江戸から明治になって制度を変えて、戦争が終わってまた制度をなくして、それでも風俗そのものはなくならない。結局、人間の欲望って法律一枚で消えるような単純なものじゃないんですよね。形を変えて、名前を変えて、また別の遊びが生まれる。まあ男の下半身だけは、時代が変わってもなかなか行政の言うことを聞きません(笑)
【結び】そして日本は、敗戦の日を迎える

遊郭を認める。

娼妓を登録する。

営業場所を定める。

警察が管理する。

それが、 長く続いた日本の公娼制度だった。

しかし、 1945年。

日本は敗戦する。

社会そのものが、 根底からひっくり返った。

そして、 敗戦からわずか数日。

日本政府は、 それまでとは違う目的を持った 特殊な施設を急いで作り始める。

次なるテーマは、

RAA。

正式名称、

『特殊慰安施設協会』。

日本風俗史はここから、 戦後編へ突入する。

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